酒害体験談

あれから二昔

発表者 K・I
所属 江東断酒会

 「今日は酔っ払う前に切り上げて帰ろう」、そう心に決めて出た忘年会。何せ飲 み過ぎると必ず人に迷惑を掛けるのは判っていました。酔いつぶれるくらいならまだ良 い方で、大声で騒ぎ出す、喧嘩を売る、揚句の果ては小便をタレ流す等々…。一、二杯 の内ならまだ良いのですが、三杯目を過ぎたころからおかしくなってしまいます。
 「K、お前目が据わってきたからそろそろ気を付けろよ」と言われても、表面上 は「ハイ」と言うのですが、心の中では「面白くない、何で皆で楽しくやっている時に お説教されなくてはいけないんだ。言っているあんただって酒の失敗くらいやったじゃ ないか」と思っていました。黙って飲むピッチが速くなり、気が付くとまた酔いつぶれ 、「何で自分は皆の様に上手く飲めないのだろう」と後悔の繰り返しでした。
 当然隠れて飲む酒が多くなります。酒席では酔わずに出てくるのですが、その帰 り道に一人で飲み屋に入ったり、自販機で立ち飲みする様になり、自宅に辿り付くころ には泥酔状態でした。
 そんな私でも子供がまだ小学生でしたから、一家を養っているという気持ちはあ りました。「酒での失敗は多いけど、俺は一家の主だ」と思っていましたので、たまに は酔っ払う前に帰ろうと心に決めて、忘年会に出ました。酒は殺して殺して殺して飲ん で、何とか一次会は終わりました。「お先に」と言って一人でタクシーに乗ったまでは 良かったのですが、安心した途端、酔いがまわってきてブラックアウト…。朝、気が付 くと妻が枕元で鬼の形相で座っています。帰りに乗ったタクシーの中で私は小便をタレ 流してしまい、そのことで運転手さんと口論になり交番につき出されたとのこと…。そ ういえば何故かお巡りさんと話しているシーンはうっすらと覚えている……。
 「今までは迷惑を掛けたのは、家族や知り合いの人だけでしたが、とうとう他人に も迷惑を掛ける様になってしまいましたネ。お酒を止めて下さい」と強い口調で言われ 、止めると言うしかありませんでした。酒を止めるの約束は、前にも何回もやっている ので、今度も又、一ヶ月も飲まずにいればほとぼりも冷めて、飲める様になるだろう と腹の中では思っていましたが、今回ばかりは違っていました。
 城東保健所から保健婦の前原さんが自宅に来て、「よく決心しました。一緒に成 増病院に行きましょう」と言われました。そこは精神病院とのこと。自分でしでかした 不始末が原因とはいえ、そんな所に行くハメになるとは…。サラリーマン人生も終わり だな。ヘタをすれば一家バラバラ、俺は一生病院の中で暮らすのかと、目の前が真っ暗 になる思いでした。成増病院へ行く当日、西高島平の駅前の歩道橋の上で前原さんが、 「あれが成増病院ですよ」と指さしたそこに見えた建物は、私には死刑台に見えたもの でした。
 幸いだったのは、その何日か前に断酒会に顔を出していたことでした。何年も酒 を止めている人がいる。家族の人の明るい顔等々。自分でも酒を止められるかな?と思 ったその断酒会に行く様にドクターから勧められ、断酒会通いが始まり、今があります 。
 時々想い出す、あの歩道橋の上から見た風景…。私の心の中と同じ冬枯れの中の 病院、一緒に行った妻はどんな気持ちでそれを見ていたのか…。
 あれから二昔、いまだにその時のことを忘れずにいられるのは皆様のお陰です。 ありがとうございました。