酒害体験談

大切な物、人、自分自身を見失わないように

発表者 U・Y
所属 江戸川断酒会

 今までに何度か見てきた日の出ですが、小さい時、旅館の窓から房総沖に見た真っ赤な朝日は今も忘れていません。でも、お酒を飲んでいた期間は薄いベールにかかり記憶が曖昧です。社会に出て飲酒する機会ができ、私に心地よい酔いと騙し騙し築きあげてきた人間関係をもたらし満悦感を与えてくれていました。
 お酒は、いつの頃からか体は勿論のこと社会性、感受性、人間性、全ての物を破壊していく物と変わっていきました。
 今、ここで私が依存症になっていく様をお話しても、多くのアルコール依存症の方と結末は同じですので控えることにいたします。
 今、正直に生きているかと自分に問いかけてみると、そう生きていきたいと望んでいます。
 父は私が十代の頃に他界いたしました。振り返れば、幼い頃私にとって父は優しい時もあったけど怖いという存在でした。そんな父でしたが、やはりお酒が好きで膝の中に私を入れ毎晩、晩酌をしておりました。その時の父は怖くもなく幼いながらもお酒を飲むと人は気分が良くなり優しくもなり人格が変わるのかな、とどこかで感じとっていたのかもしれません。
 今、自分の心の中を見つめると、お酒を飲むと優しく変わっていった父のように、いつもは人の評価を気にして自分を偽り隠し人を寄せ付けない、自分の考えを否定された時、会話や態度で相手が威圧的な攻撃をしてきた時などは、自分の気持ちを旨く相手に伝えることが出来ない臆病で弱い私ですが、お酒を飲むと時にははめをはずし物事の判断力が低下し、酩酊状態になれば相手かまわず話を始め、相手との距離が近くなれば人に依存し酔いの中で安心感を得ていました。でも、お酒が無くなると自分が満足出来る場所に居ない、いつも人に対して神経をとがらせ緊張し自分の弱音を出せないもどかしさ、装っている自分、自分自身のことを信用していない分、他人をも信用出来ない私は人との希薄な関係に寂しく切なく感情のバランスが取れなくなっていました。
 そんな時、自分の許容範囲をこえてお酒を飲むことで表面的に自分自身を保っていたのだと思います。鏡に映し出される私は生気が無く寂しそう、時に泣いている本来の私が映し出されていました。だから、私はお酒を手放すことが出来なかったのだと振り返れば感じます。
 私自身に家族に私を取り巻く人に対して正直ではなかった結果、何年もの間、心が不安や恐れ、心配、嫉妬、お酒を飲むことへの罪悪感で一杯でした。お酒を口にしなくなってから健康、正直、勇気、思いやり、穏やかな時間を少しばかりいただいています。誓いの言葉で自分を改革する努力と謳われていますが、今まで家族や友人にも話さなかった悩みなどを話せる自分、体裁ばかり気にしていた私が少し気を抜いて生活出来る様にもなり、お酒の捕らわれから若干開放された今、自分の責任における範囲の自由と心で生活出来ています。
 コントロールが利かないのはお酒だけでは無く、自分を偽り人をも苦しめ傷つけても感じなかった心も、コントロールが利かなかったのだと気付くことが出来ます。今、そして、これから私に大事なことは自制心を培うことだと思っていますが、時に歯止めが利かないこともあります。その時は仲間の中に身を置くこと、人の話に耳を傾け、仲間に友人に話をすることを自助グループの中から学びました。
 まだ、お酒を止めて若干三年です。長年、飲み続けてきたアルコールの味、酔いも、楽しかった時間、苦しかった時代は体で憶えてきたことです。
 今の生活の中で、ぎくしゃくしてしまう私がいますが、新しい生き方が出来るとすれば何が一日の中で大切かを見極める判断力と、ありがとうと感じる優しい気持ち、自分らしく自然に生活していくことだと思っています。これからの時間、大切に思っている人、大切な物を失わないよう自分自身を見失うことなく、今日のためにお酒を止め続けて生きたいと望んでいます。
 今日は三年間の間に感じてきたことを話すことが出来、有難く思っています。どうも有難うございました。