酒害体験談

酒がやらせた奇怪な行動とリストカット

発表者 Y・K
所属 京王断酒会

 俺、Y・Kというアル中は、三鷹にある精神病院H病院に二度入院している。一度目は平成十五年六月二十三日入院、その年の十一月九日退院。二度目は平成十七年八月十一日入院、その年の十一月十七日退院が俺の記憶しているところである。
 最初の入院前夜のことは今でも鮮明に覚えている。遂に来るべきものが来たと俺は思った。平成十五年六月二十二日確かその日は日曜日だったと思う。アルコール依存症の診断を下される前にやった最後の仕事、アルバイトではあったが俺は運送屋さんで、運転助手の仕事をやっていた。主な仕事は某有名百貨店の通信販売部の品物を注文した御客様へ届ける仕事だった。殆どの品物は届けるばかりではなく品物と引き換えに代金を御客様から貰うというのが付随していた。その仕事は入院した年だから平成十五年の五月の末日をもって辞めるはめになった。潰れる寸前だったため、とにかく頭の中は酒のことばかり考えていた。現にガンガン飲んでいた。当然の如く運転をする時は、前の晩に浴びる程飲んでいるもんだから、自分自身は二日酔いだとは頑として思ってはいないが、酒が残っているもんだから当然酒の臭いは傍に居る誰もが感じていたに違いなかったであろう。そういう状態で車の運転をしていた馬鹿な俺も俺だが、配送所の車両管理責任者はどういうつもりでいたのだろうか。完全な酔っ払い運転である。おかしいなあと思ったのはこれだけではなかった。
 運転助手として届け先を地図で見て運転手の人を御客様宅まで導く訳であるが、事前に頭の中に二、三件先まで叩き込んでいるのだが、それが突如として頭の中が真っ白になり全て忘れてしまう。今にして思えば、前の晩の酒がまだ残っているので完全なブラックアウト状態である。
 仕事を辞める寸前の数日前はもっと酷かった。御客様から預かったお金を集計して、正社員の責任者の方からチェックをして貰って仕事が取りあえず終わりになるのだが、その集計が出来なくなっていた。二十五枚程の伝票を見て計算機をたたく訳だが、最初の二枚、三枚の同じ所を何度も計算していた。やっぱりおかしいと狂った頭ながら思うようになった。お金が絡む仕事だからもう俺は観念した。これ以上こんなことをやっていたら配送所の責任者に大変な迷惑を掛けると思ったのか、もう酒のことしか頭にないからか、とにかく辞める決意をした。
 入院前日の六月二十二日に戻る。変なのが聞こえてきた、幻聴である。俺は叔母を含めいとこの連中から「Kちゃん」と呼ばれていた。当時結婚したばかりのいとこの家族が、俺の住んでいたアパートをグルグル回りながら俺に囁くのが聞こえた。「Kちゃんみたいな奴は死ね」と言ったように覚えている。繰り返し繰り返し聞こえてくるのだ。耐え切れず俺は、仕事で使っていた荷解用のカッターナイフを手にしていた、勿論無意識である。そのカッターナイフは左手首に向かっていた。手首血管に刃を入れた。なかなか切れるものではない。刃が手首のかなり奥深くまで入り、これを切ったら終わりというところ、動脈が見えたあたりで狂った頭ながらにもまともな所が少しはあったのか、我に返った。怖くなりアパートを飛び出し上半身は素っ裸、ズボンのジーパンは血だらけで近くの交番へ助けを求めて駆け込んだ。不運にもお巡りさんは不在だったが、交番の中にいる変な俺に気付いた若いアベックが、交番に備えてあった電話で救急車を呼んでくれた。手首の縫合手術のため武蔵野市にある救急病院に運ばれ、それなりの処置をして一泊した後、翌朝の早い時間にストレチャーごと病院の車で精神病院に運ばれた。今思い出してもゾッとする。酒は怖い、ここまでさせる、ここまで狂う。