酒害体験談

私の酒

発表者 T・R
所属 町田断酒会

 子供の頃から酒が好きだった。ブランデーボンボンやサングリアを求めた。しかし酔うほどには呑まなかった。 本格的に飲酒を始めたのは大学に入ってからだった。独り暮らしをきっかけに過激なダイエットを行い、一ヶ月断 食して十キロ痩せた。それからは肥るのが怖くなり、食べ物の代わりに酒を飲むようになった。酒は人前ではあま り呑まず、独りで潰れるまで呑んでいた。憂鬱な気持ちを忘れたかったからだ。最初からコントロールのきく飲酒 はできなかった。
 会社員になってからは、自宅にいたので夕飯には米の代わりに必ずビールを呑んでいた。会社が遠かったので独 り暮らしを始め、カクテルや吟醸酒に凝るようになった。でも結局は潰れるまで呑んでしまうことにかわりはなか った。朝から酒を呑み会社を休んだこともある。
 会社をやめて結婚生活に入った。相手は大学のサークルで知り合った九州男児。結婚してから暫くはうまくやっ ていたが、私が小さな文学賞をとってから暴力が始まった。夫は私と同じくらい酒を呑むタイプで、呑むと説教を 始め、最後は殴る蹴るの暴力に走った。だんだん帰ってくるのが怖くなり、午後四時くらいからワインを二本空け るようになった。意識がないと暴力を振るわれても平気だからだ。
 夫はそのうち仕事を辞めてしまい、遊び暮らすようになった。ある朝起きると片目にパンチが入っており、殺さ れると思って逃げた。暫くは独り暮らしをしていたが、最後は実家に戻った。私の飲酒癖がおかしいことに気付い た父がアルコールの病院に連れていってくれた。久里浜式スクリーニングテストを受けたが、答えていたのは父だ った。私はまだ離脱は出ないくらいにしか進行していない。父は私をアルコール依存にしたかったのかもしれない と思う。娘を心配してのことだろう。しかし、私の症状はプレアルコホリクという特殊なケースで、呑み続けると アルコール依存になるという状態なので、断酒しかないことに気付いた。しかし離脱が出ないので、何度もスリッ プを繰り返し、過食嘔吐、自殺未遂などで何度も入院した。連続飲酒発作にはなったことがない。
 本当にやめようと決意したのは断酒会に繋がってからだった。その時の会長が本気で私を叱ってくれたことがき っかけだった。後から話してくれたのは、まだ助かる見込みがあるから叱ったとのこと。感謝することしきりであ る。
 しかし、その後もスリップを繰り返すことは止まらなかった。母が末期ガンを告げられた時、ストレスから飲酒 に走りまた入院した。その後は禁煙にトライして、鬱になり寝込んだあげく、また入院した。今は父母の気持ちを 考えると呑む気にはなれない。断酒会の家族の発言が大きな影響になったと思う。これからも長く断酒を続けてゆ きたいと考えている。