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月〜土 10:00〜16:00
(第1日曜日 13:00〜16:00)
子供の頃から酒が好きだった。ブランデーボンボンやサングリアを求めた。しかし酔うほどには呑まなかった。
本格的に飲酒を始めたのは大学に入ってからだった。独り暮らしをきっかけに過激なダイエットを行い、一ヶ月断
食して十キロ痩せた。それからは肥るのが怖くなり、食べ物の代わりに酒を飲むようになった。酒は人前ではあま
り呑まず、独りで潰れるまで呑んでいた。憂鬱な気持ちを忘れたかったからだ。最初からコントロールのきく飲酒
はできなかった。
会社員になってからは、自宅にいたので夕飯には米の代わりに必ずビールを呑んでいた。会社が遠かったので独
り暮らしを始め、カクテルや吟醸酒に凝るようになった。でも結局は潰れるまで呑んでしまうことにかわりはなか
った。朝から酒を呑み会社を休んだこともある。
会社をやめて結婚生活に入った。相手は大学のサークルで知り合った九州男児。結婚してから暫くはうまくやっ
ていたが、私が小さな文学賞をとってから暴力が始まった。夫は私と同じくらい酒を呑むタイプで、呑むと説教を
始め、最後は殴る蹴るの暴力に走った。だんだん帰ってくるのが怖くなり、午後四時くらいからワインを二本空け
るようになった。意識がないと暴力を振るわれても平気だからだ。
夫はそのうち仕事を辞めてしまい、遊び暮らすようになった。ある朝起きると片目にパンチが入っており、殺さ
れると思って逃げた。暫くは独り暮らしをしていたが、最後は実家に戻った。私の飲酒癖がおかしいことに気付い
た父がアルコールの病院に連れていってくれた。久里浜式スクリーニングテストを受けたが、答えていたのは父だ
った。私はまだ離脱は出ないくらいにしか進行していない。父は私をアルコール依存にしたかったのかもしれない
と思う。娘を心配してのことだろう。しかし、私の症状はプレアルコホリクという特殊なケースで、呑み続けると
アルコール依存になるという状態なので、断酒しかないことに気付いた。しかし離脱が出ないので、何度もスリッ
プを繰り返し、過食嘔吐、自殺未遂などで何度も入院した。連続飲酒発作にはなったことがない。
本当にやめようと決意したのは断酒会に繋がってからだった。その時の会長が本気で私を叱ってくれたことがき
っかけだった。後から話してくれたのは、まだ助かる見込みがあるから叱ったとのこと。感謝することしきりであ
る。
しかし、その後もスリップを繰り返すことは止まらなかった。母が末期ガンを告げられた時、ストレスから飲酒
に走りまた入院した。その後は禁煙にトライして、鬱になり寝込んだあげく、また入院した。今は父母の気持ちを
考えると呑む気にはなれない。断酒会の家族の発言が大きな影響になったと思う。これからも長く断酒を続けてゆ
きたいと考えている。