酒害体験談

「私の酒害体験」

発表者 S・Y
所属 町田断酒会

 私が連続飲酒をするようになったのは、十三年前、北海道の大学に研究のために出向した時でした。 勿論単身赴任でした。大学での実験、研究が終わってアパートに一人帰ると、やることがないのでビー ルを飲むようになりました。だんだん量も増え、夜は毎日休肝日をとることもなく飲み続けました。休 日は朝から飲むようになりました。こうした生活を三年続けて、大学ではそれなりの研究成果をあげ工 学博士の称号を頂き、東京に戻ってきました。
 会社に戻るとまた連続飲酒が始まりました。会社が終わるとコンビニで五○○ml缶を二缶買って駅ま での間に歩きながら飲みました。多摩川の橋を渡るのですが、夕焼けが綺麗で大変爽快でした。家に着 く頃には酔いは醒め、家でもまた五○○ml缶を二缶飲んでいました。この生活パターンは十年間変わり ませんでした。
 「酒飲んで何も覚えていないなんて嘘だよ」とずっと思っていました。しかし会社の飲み会で初めて ブラックアウトを経験しました。一次会でビールをしこたま飲んでから二次会のカラオケに行った時の ことです。私はまったく覚えていないのですが、女子社員の肩を抱いたり、膝枕をしようとしたそうな のです。翌日、その女子社員はかんかんに怒っていました。しかしまったく覚えていないのです。「セ クハラで総務に訴えてやる!」というので、ひたすら謝って何とか許してもらえました。
 このあたりから酒に絡んだ問題が出てきました。駅前の不法駐車の車や自転車を蹴飛ばしたりしたり、 酒の量も増えて二日酔いで会社を休んだりしました。妻からも「子供ができないのは、あなたの精子が 酔っ払っているからなんじゃない?」と言われる始末でした。そしてついには妻に暴力をふるって、警 察を呼ばれて警官に説教されてしまいました。それで妻と私の両親に連れられて、よしの病院のアルコ ール科に行きました。私は酒のない人生なんて考えられないので、いやいや連れていかれたという感じ でした。先生は「あなたはアルコール依存症だから三ヶ月入院して治しましょう」とおっしゃいました。 妻は「アルコールを止めなければ離婚します」と言ったので、しょうがなく入院することに決めました。
 入院すると「通院、抗酒剤、自助グプープ」という言葉が貼ってありました。意味不明だったのは 「自助グループ」でした。入院しているので通院はしている。朝、抗酒剤は飲んでいる。ミーティングは 院内でやっている。病院での生活は快適でした。すぐに飲酒欲求はなくなり、また入院している方々もい い人ばかりでした。プログラムがないと時は、ずっと自由時間で特に将棋がはやっていて私もいっぱい指 しました。一人、僕を気にかけてくれる看護師さんがいて、断酒のための本を貸して下さったり、よく面 倒を見てくれました。この場をかりてお礼を言いたいと思います。MNさん、お世話になりありがとうご ざいました。
 さて入院が二ヶ月もたった頃、「断酒会」へ行くことになりました。これが自助グループかと思い参加 しました。皆さん順番にご自分の体験談を話されていました。私は退院してからは町田断酒会にお世話に なっています。そして現在は会員になってずっと断酒を続けています。なんで断酒会に出席していると飲 酒欲求が起きないのか、今でも不思議です。しかし、お酒が止まったのは紛れもない事実なのです。これ からも断酒会に出席して断酒を続けていきたいと思っております。先日、本部例会で初段の表彰状を頂き ました。この賞状を大切にこれからも励んでいきたいと思います。