酒害体験談

三年前の私・・・そして今は

発表者 I・M
所属 世田谷断酒会

 三年前のちょうど今頃の私がやっていたこと。成増入院中の夫の面会はほとんど毎日、夫の洗濯物は私が持 ち帰って洗濯し、部屋のロッカーに整理整頓して入れる、断酒し始めの夫が飲むためのお茶はペットボトル10 本、凍らせてクーラーボックスに入れて持っていく。もちろん甘いお菓子も忘れずに。車で病院に行くものだ から、面会中、埼玉のディスカウントショップや近隣のバイク用品店等、夫が行きたいというところに連れて 行く。それって本当は嫌だったんです。暑いのは大嫌いだから涼しい病棟にいたかったのに、夫に「嫌だ」っ て言ったら機嫌が悪くなるのはわかっていたし、何より嫌われたくなかった。とにかく、すべてがそうでした 。病室に関してもそう。夫は完成したばかりのピカピカのアルコールセンターの個室に退院までいたんです。 入院当初はそれもありかな?と思ってはいたけど、三ケ月ずーっと個室です。お金のことが心配だったけど、絶 対にそんなこと言えない。お金のことを一言でも言ったらぶっ飛ばされる、私にとってそんな怖い夫でした 。「個室じゃなきゃ入院なんてしてられないよ」。ホント、そういうただの我儘でさえ、「そうだよなぁ、こ の人は見ず知らずの人と一緒の部屋なんてきっと無理だわ。治療環境は大切だもん」と本気で思っていました 。でも、私の面会のこの有様です。何が治療環境でしょう。今思うと穴があったら入りたい気持ちでいっぱい です。途中から外泊で自宅に帰るのは電車を使うようになった夫だけど、帰りはもちろん私の運転で送りです 。洗濯した洋服やその他いろんなものを電車で持って帰らせるなんて、そんな大変なことさせられないって、 これまた本気で思っていたから、私にとっては当たり前の行動でした。担当看護師が「毎日面会に来ることは ないよ。洗濯は自分でさせていいんじゃない?自立も必要だよ」というアドバイスに、「私が会いたくて来て いるのだからいいんです。洗濯が自立につながるとは思えません」ときっぱり言い切る私でした。でもそれは、 夫のためと言いながら、実際のところは夫がそばにいないことの寂しさを、こういった行動で紛らわせていた だけの自分勝手な行動です。全くどうしようもない私でした。
ある日の面会、七月下旬。面会に行くと、とっても不機嫌な夫。シーツ交換の日だったのですが、「具合が悪 い、吐き気がする」と何もせずベッドにもぐっている夫。「看護師さん呼んでこようか」という私を睨み付け 、「いいんだよ!!ほっといてくれ!!」と怒鳴る夫。ココは病院なのにどうして?怒鳴る夫が怖かったけど、私 は急いで部屋を出て看護師を呼びに行きました。来てくれた看護師がすぐに検温したり、問診したりするのを そばで見ている私。かなりの違和感。看護師が去ったあと、「ゆっくり寝ててね。帰るね。今夜は京王の懇談 会だから行ってくるね」と部屋を出ようとした私に、「具合の悪い俺を置いて断酒会だとぉ!!俺はこんなに具 合が悪いのにお前って奴は!!」と怒鳴る夫。その時初めて、何かが違う、やっぱり違う、これはおかしい、夫 はおかしい、とそそくさと部屋を出て帰りました。
退院が間近に迫ったある日の四者面談。ご主人に望むことは?と医師から聞かれ「一緒に断酒会を回ってほしい 」と答える私。何かをするのに、夫婦は一緒でないと・・・とこれまた夫に依存する私。夫がせっかく入院し ても全く変わらない私の言動でした。もちろん退院は私のお迎え付きです。せっかく三ケ月も入院し、夫も私も それなりに病院で勉強したはずなのに、な〜んにも変わらない私、そして夫婦関係でした。
それでも夫が退院後は二人で断酒会に回るようになったのですが、仕事をして夕飯の支度をして夜は断酒会。 「忙しい」と一言で言い表すことのできない忙しさでした。その当時は子供たちが三人とも家にいたので、夕 飯の支度も洗濯も半端ない忙しさです。さらに追い打ちをかけるかのように、イライラしている夫は飲んでい るときと同じ、いえそれ以上に私に対して一方的に怒鳴り散らしたり、物を投げたり。物に当たったり。夫が お酒を飲まなくなったら、きっとすべてハッピーになる。そう思っていたんです。だって、三ケ月も入院したん だから。もうお酒は飲まないだろうし、はっきり言ってそういうのは治ったんだって、これまた本気で思って いたんです。だからそういう状況の中、私は怒っていました。どこにぶつけていいのかわからない怒り、もち ろんそういう夫に対しても怒っていました。どうして飲んでもいないのに私につらく当たるんだ、医療関係者 や断酒会の人たちがこうしなさいってことをちゃんとやっているのにどうしてこうなるんだ。でも本当は、自 分に対しても怒っていたんです。辛い思いしながらどうしてこんな生活続けてるんだ、嫌なら嫌って言えばい いじゃないとか、いろんな怒りが渦巻いていて、結果、般若のような顔の私でした。
そんな私にさらなる難関。それは自分の生い立ちを振り返ることです。それは自分の心の闇です。夫の心の闇 ばっかりに目を向けて、自分のことは棚上げ状態の私でした。子供の頃からいろいろあったけど、そんなこと は大なり小なりどこにでもあること、資格もとって仕事もできて結婚もして子供たちもまっすぐ育って、夫は 病気にはなったけど、それは私個人とは違う世界のこと。そんなことより、夫のことを何とかしなきゃ・・・ でした。しかし、ギャンブル依存症という病気を持った父親とそれに翻弄する母親の間で、子供らしい子供時 代を過ごせなかった私です。一言でまとめればそれだけなんですが、それはものすごく過酷な子供時代でした 。いわゆる私はACです。過酷な子供時代、両親の作った家庭から今思えば逃げ出すように東京に出てきて、夫 と出会い、「親が作った家庭とは違う幸せな家庭を作る」「絶対に親のようにはならない」それだけが人生の 目的のように考えてきました。そんな私が大きく間違ったことは、幸せな家庭は私の思い通りになる家庭だと 思い込んでいたことです。そして、夫は私を親のように、いえ親以上に守ってくれる。そして親以上に理解し てくれる。そんな期待をいつもしていました。親がしてくれなかったことのすべてを夫に求める、でも、お酒 があったから生きてこれた夫です。到底無理な話でした。お酒がすべての夫と父親を重ねた日々、特に夫のお 酒がひどくなるにつれ、父への恨みと母への怒りが夫とかぶります。その点に関してだけは、本当に夫には悪 いことをしたと思っています。
私は入会して約三年間ほぼ毎日断酒会を回っています。断酒会に出て、皆さんのお話を聞いて、夫のあの行動 は病気だったからなんだ、私のせいではなかったんだ、と感じることで今とても気持ちが楽になっています。 そして三人の子供たちのこと。アルコール依存症の父親をもち母親自身もACである子供たちに、私は母親とし て子どもたちに十分なことをしてこなかったんじゃないか、それどころか、ひどく傷つけてきたかもしれない 、という思いをもった時期がありました。ACは母親が作る、という事実を会の中で実際に知り、とりかえしの つかないことをしたんじゃないか、私が子供を産んでよかったんだろうか、と自分を責めた時期もあります。 そういう思いから、無駄に過保護になったこともあります。でも、不思議ですね、今は子供の力というか、問 題を乗り越えられる力を信頼できてるんです。そして、子供と自分を切り離せるようになったんです。夫と父 親を切り離すことができたのは、それが自覚できてからで、私から夫を切り離したのも同じくらいの時期でし た。まるで「筋子」のような家族だったのが、今では「いくら」になっています。家族は自分の身体の一部く らいに思っていた私が、そうなったからと言って特別寂しくはないんですね。不思議です。私は夫や子供たち がとても大切で、この世の中で一番愛しています。でも、それぞれ一人ずつの人間で、決して私のものではな い。これが自分にできるようになったのは、まぎれもない断酒会のおかげです。「筋子」が「いくら」になる には温かいお湯が必要です。そのお湯が今日ココにいる皆さんです。皆さんの温かさです。
夫がひがむからあんまり言いたくないけど、私は今ココにいて、本当に幸せだなぁって思います。そんな幸せ な女房と一緒にいられるから夫の今日があるのかもしれないですね。それこそ、今日のテーマ「家族の支えが あって今日がある」ですね。家族が幸せになってこそ、本人さんたちの今日がある。そう思います。
そういうことで、本当に皆さんにはお世話になっています。ありがとうございます。これからもよろしくお願 いします。